第95回「国際理解講座」<世界を知ろうシリーズ>を2020年9月19日、本多公民館で開催しました。講演者は「カラ=西アフリカ農村自立協力会(以下協力会と略)」代表の村上一枝さん、『西アフリカ マリ共和国農村住民の自立=農村女性のゼロからの出発』という演題で講演いただきました。講演では、マリの農村住民が自立できるように、30年間(1989~2018年)にわたって精力的に活動された支援事業の内容と、支援により住民たちが自立した生活ができるように至った様子を、写真をまじえてお話されました。受講者は、村上さんの臨場感あふれる話を熱心に聞き入り、貧しい国マリ共和国の実情や協力会の真摯な活動によって村や村の女性が自立化に向けて変貌する様子に拍手を送り、有意義な講座だったとたいへん好評でした。
以下に村上さんの講演の要旨をまとめましたので紹介します。
第95回国際理解講座講演『西アフリカ マリ共和国農村住民の自立=農村女性のゼロからの出発』要旨
1.はじめに
◆活動を始めたきっかけは、村上さんが西アフリカを旅行中にマリ共和国に立ち入り、子どもの病気について話を聞いたとき、村には医者もいない、薬もない、病院もない状態で、子どもたちが生きるか死ぬかの状況を目のあたりにしたこと。また、水がない、食料がない、医療や教育が不十分などで村民が生活していくうえで基本的なことができていないため、失わなくていい命を失ってしまう、という現状を見て、彼ら住民のために何かできないかと考えたことに起因している。
◆支援活動を始めるにあたり、まず、現地の状況を把握するために1989年からマリ共和国に渡り最初の3年間は個人ボランティアとして、在マリ日本NGOに1年、マリ人のNGOに2年滞在して気候、環境、生活、医療、教育、慣習などの実情を見、住民の話を聞いて、住民が何を必要としているか、何が欠けているか、住民たちの力で何ができるかをさぐり、それを踏まえて協力会として何ができるか、何をすべきかを検討して支援計画をつくり、プロジェクトを立ち上げ、1998年9月に日本人会員による「カラ=西アフリカ農村自立協力会」を組織、設立した。
協力会は「ゆっくり、少しずつ、確実に」をモットーに、「日本から物を持ち込まない、マリにある技術・方法、資材、人材による支援事業」を趣旨として、農村の人々が自らの力で自立した生活を構築するために努力する姿を支援することとした。
なお、協力会スタッフは常に代表の村上と共に村に居住し、人々の傍に寄り添って活動を継続している。
2.マリ共和国について
◆マリ共和国(以下マリと記す)はアフリカ大陸西部に位置し、周囲をアルジェリア、ニジェール、ブルキナファソ、コートジボアール、ギニア、セネガル、モーリタリアの7か国に囲まれた内陸国。首都は南西部にあるバマコ市。1960年にフランスから独立。北東部にひろがるサハラ砂漠は国土の7割を占める。産業に乏しく、主な産業は牧畜、農業、綿花の栽培が盛んで、生産量はアフリカではエジプトに次いで2番目で主に輸出用に供されている。教育や医療など社会基盤は脆弱で世界の発展途上国のなかでも最貧国の一つである。
◆気候は雨季(5月から10月末まで)と乾季のみであり。近年は雨季の降雨量が一様でなく、非常に少ないか、または非常に多いか両極端であり多い年には洪水の発生が生じ、降雨量の少ない年は凶作で食料の不足をきたしている。乾季は全く雨が降らない。雨季には、主食となる穀物を播種し雨季明けに収穫する。労働力は村の男性で、乾季には若者による出稼ぎが多いが、農繁期には帰郷して農業を手伝っている。主食はトウジンひえやトウモロコシが主で、臼で挽いて粉にしたものを練り上げて食べる。米も生産しているが、セネガルやガンビアからの輸入が多い。飲料水は手堀の井戸や手押しポンプ付き深井戸からくみ上げて使用している。
◆政情は不安定で多くの問題を抱えている。更に今年に入って予期せぬコロナ問題や8月19日のクーデターの発生で大統領が失脚する事態が起き、社会は混とんとしている。クーデターは、大統領の統治力の脆弱さにより、腐敗政治や不正選挙、不公正な裁判を招き、長期に渡る北部サハラ地域におけるイスラム過激派の行動、独立を望むトアレグ族の問題など多くの困難な問題を解決できないままでいることが原因している。クーデター後は約1か月間、指導者が不在で無政府、空白状態になっていたが、9月中旬に暫間政府が組織された。大統領が議会で選ばれ、一応安定した状況になっている。
しかし、サハラ砂漠の地下資源の利権をめぐって、米、ロシア、中国等が介入し、時々、イスラム原理主義者たちによる外国人誘拐や村への襲撃、強奪など危険な状況が発生し、協力会の活動現地への往来は禁止されており、先行きが心配されている。
3.協力会支援活動の内容について
◆マリの農村地区での支援活動は、1989年来の村上の個人ボランティアの活動が踏襲され1993年に現協力会が組織されてから日本NGO団体としてマリ共和国内務省から認可を得てスタートした。2018年までに80か所以上の村で、水の供給、教育、医療、自然保護、野菜栽培、女性への物づくりの技術指導、その他自立に関する事業など、多岐にわたる項目で、村民の生活に必要な“インフラ”の整備からスタートし自立化に向けた支援活動を進めてきた。協力会のマリ共和国での30年にわたる支援活動に携わった村の人たちは、近年自立が可能になり、安定した生活ができるようになってきた。その為、2018年12月で日本側の支援を打ち切る事とした。協力会が現地を撤退した後は、地域の行政が積極的に村々を監督して事業の継続を監視している。まさに「私から行政」の手に渡ったことになる。今後はカラマリ(cara mali)として現地スタッフによる事業の継続が行われる予定である。ただし、日本支援者からの限定された支援(建設等)は今後も継続していく。
◆具体的な支援活動を紹介すると、
・水の供給
手押しポンプ付き深井戸(機械堀り)の掘削、手堀りによる浅井戸の掘削。
・教育普及事業
識字教育と教室の建設と識字教師の育成。小・中学校の建設。
・医療事業
看護師・助産婦の育成、産院・診療所の建設、病気予防・公衆衛生知識普及。抗マラリア薬投与、腸内寄生虫駆除薬投与。エイズ予防キャンペーン。
公衆トイレの建設(市場の横、識字教室付属、小学校付属 等)。病気予防・衛生環境改善啓発標示板の設置。
女性健康普及員の育成(各村から5人、約180人の女性指導員育成)。
・野菜園造成
女性専用の野菜園開設と、野菜栽培技術の指導。
野菜園には上記の井戸、各1基を設置し、家畜除けの金網による防護柵を設置。
玉ねぎ保存庫の建設、穀物保存庫の建設。
・自然環境保全事業
植林地の造成(村単位、小学校附属の学校林の造成)、苗木つくりの指導。
改良かまどの製造普及。樹木の無謀な伐採禁止の立て看板の設置。
各村に森林パトロール隊を組織。
・女性自立支援事業(女性適正技術指導普及)
女性適正技術指導センタの建設と備品整備、女性適正技術指導
(石鹸つくり、編み物、衣服の製法、刺繍、染色技術指導 等)を普及。
女性小規模貸付資金事業の開始。公衆市場の建設。穀物製粉機の設置。
4.支援活動の成果について
協力会の30年間に渡る村民の健康で幸せな生活を送れることを目的とした支援事業は、多くの人々からの支援を受けながら中止する事もなく順調に継続されてきた。この事業の経緯を見ると、あたかも女性支援の事業であるかの印象であるが、村では女性が働く・行動するためには全てに於いて夫の許可を得る必要がある。つまり夫の、または村長の許可なくしては何も出来ないのであるから、各事業に於いて間接的にも男性の力が働いていると言える。しかし、表面に出て非常に積極的に行動し、実践するのは、家庭を預かる主婦たちであるために、女性支援と見られるようである。協力会としては、村の住民全体、子供、老人を含めて事業の対象者としている。
その結果、家庭内に於いては夫の暴力が無くなり、夫も妻の働きに協力し理解を深めてきた。多忙な妻に変わって子供のユニセフの予防接種にも付き添うようになった。また、助産師や、女性の指導者となった妻を持つ夫は、非常に誇らしげであるという。女性はこれまで埋もれていた潜在的能力を発揮し活力、自信を持つようになってくるとその力が男性にも伝わり、家庭から、また村の民主化につながるようでもある。このことが最大の成果ともいえる。
具体的な支援事業の成果は、次のようなことが挙げられる。
◆生活に係わるインフラ整備の改善と女性の収入確保。
・井戸の設置により、水の確保が出来た。
地下60~70mから清潔な水を確保することが出来、生活用水だけではなく,野菜栽培、女性適正技術の染色や石鹸つくり、また保健や植栽面で有効に使用されるようになった。1本の井戸設置による成果は計り知れない。
・野菜栽培により家族の栄養改善と女性の収入獲得が可能となった。
・過去には雨季の雨を利用したささやかな野菜栽培であったが、野菜園が整備されたことにより酷暑の4月頃を除いてその他の期間は野菜栽培が可能となった。
・従来よりも多種の野菜栽培が生産されて食材が豊富になった。未熟児で生まれる新生児がいなくなった。
・女性適正技術の指導普及は、若い女性の出稼者を90%食い止めた。これは、村内、または近隣の村々へ日常に必要な品物を製作して販売することにより、収入が得られるようになったためである。
・2000年に女性小規模貸付事業が始まり現在も継続され女性に収入確保の道が広がった。
・公衆市場の建設で自作の製作品や生産物の販売が可能になった。
・穀物製粉機の設置により、女性の重労働が軽減され、時間に余裕が生まれた。
◆教育関係
・部族語(バンバラ人の住んでいる地域であるからバンバラ語の識字学習を行う)の識字学習により、字を覚えて読み書きができる人が多くなり、その人たちが先生となって教えるという形ができ教育が広がるようになった。字の形の指導には、丸い瓢箪と棒を使い、その組み合わせによって文字の形を教え、単語、文章の順に教えてゆく。
・教育熱の高まりに従って長年使用していた破壊寸前の学校の改築や、新規に小学校を建設した。学校のない村では識字教室を小学校にも使用して義務教育を始めた村もある。日本の外務省の資金援助で3つの教室、教官室、トイレが1セットになった小学校もでき、村の教育環境が整いつつある。
・過去に小学校を開設した村で中学校が必要になり建設を行った。
◆自然保護活動の成果
・森林火災が皆無となった。
・個人単位、または家庭単位で植栽を行うようになった。
・学校林を造成した小学校では、生育した樹木を学校管理の費用に充当するようになった。造成地の管理も自分たちで行っている。
・果樹(カシューナッツ、マンゴ、グアバ)を植栽した村の青年部では収穫後に販売して収入を得ている。収益は村の開発費用に使用している。
◆医療関係
・村出身の助産師が誕生した。このことは、女性たちに大きなショックを与え、過去には文字を書けない女性が多かったが、文字を習うようになったので識字教室は女性専用となってきた。
・新規に村管理による産院・診療所が開設。助産師の研修間に村では診療所・産院の建設を行い、研修の終了に合わせて村管理の産院・診療所を開設した。
・村から選ばれた人が産院管理委員となり産院・診療所の管理の方法を会得した。村人の管理は、今までは無かったことで村レベルでは画期的な事である。
・産院を足場にして妊婦は健全に保たれ妊婦検診、安全な出産、一般診療、新生 児教育、子どもの健康診断や予防接種ができるようになった。
・妊婦の中毒症や出産時の事故が無くなった。(妊婦の死亡が皆無になった)
・新生児の死亡が無くなった。
・村で育成した女性健康普及員の活動で、子供の下痢の減少、予防接種の100%接種、父親が子供の養育に関心を持つようになった。
・村出身の助産師の誕生は村の女性たちに大きな光を与え、女児への学習熱が高まり女児の就学児童者数が男児を上回った。
5.おわりに
協力会の支援活動と村人たちの努力で、何もない状態から何とか自分たちの力で生活ができるようになった。ただ、こうした状況を継続し更なる発展のためには引き続き支援が必要と思う。
以 上
【質疑・応答】
Q:支援活動を行うに当たって、村上さんと村民の間のコミュニケーション、特に言葉でのやりとりはどのようにしているか
A:初期のマリNGOに所属していた時には英語を話せるマリ人がいたので、その人を介して行った。その後はフランス語で話すようにしている。
Q:建設された井戸の水だけでは水が足りないと思うが、他にソースはあるか。
A:きれいな水は確かに足りない。貯水池の水は農業に役立つが、ハマダラカ(羽斑蚊)の発生が多くマラリア感染につながるから問題である。この現象はフランス?の調査団体が調査している。
以 上