【 第 5の 扉 】
「 武蔵国分寺 」が 完成 するまで、およそ20 年 かかりました。
武蔵国分寺 の 建設 が 始 まりました。740 年代 の 中 ごろのことです。
「 国分寺 」は、「 僧寺 」と「 尼寺 」という2つのお 寺 で一つの「 国分寺 」になっていました。「 僧寺 」には 男 の 僧 (*「 僧 」は 、仏教 を 学 んで 教 えを 広 める 人 )が、「 尼寺 」には 女 の 僧 (*「 尼 」は 女性 の 僧 の 言 いかた)が、それぞれ 分 かれて 住 んで、 修行 をしていました。 僧寺 と 尼寺 はお 互 いに 独立 して、それぞれのお 寺 の 建物 を 持 っていました。
武蔵国分僧寺 〈 推定 模型 〉と 武蔵国分尼寺 〈 推定 立体図面 〉
( 武蔵国分寺跡資料館 提供 )
武蔵国分寺 の 僧寺 と 尼寺 は、 広 い 東山道武蔵路 を 間 にはさんで、 東 と 西 にとなり 合 って 建 てられました。 僧寺 の 方 が 尼寺 よりも 面積 が 広 くて、 建物 も 大 きく、 数 もたくさんありました。いま、 武蔵国分寺 の 僧寺 と 尼寺 があった 場所 の間には、 府中街道 と JR 武蔵野線 が 通 っています。
僧寺 と 尼寺 を合わせた 武蔵国分寺 の 土地 はとても 広 く、 東西 の 長 さが 約 900メートル、 南北 の 長 さが 約 550メートルもありました。
建物 は 木造建築 です。 広 い 土地 にいくつもの大きな 建物 を 建 てるためには、いろいろな 技術 を 持 つ 人 や、 工事 をするたくさんの 人 が 必要 です。 材料 として 使 う 木 も 大量 に 用意 しなければなりません。 人々 が 武蔵国分寺 の 全部 の 建物 を 建 てるまでに、およそ20 年 という 長 い 年月 がかかりました。
【 第 6の 扉 】
高 さがおよそ60メートルもある 七重塔 が、 武蔵国分寺 の 象徴 でした。
長 い 歴史 を 持 つ、大きなお 寺 はたくさんのりっぱな 建物 (*「 伽藍 」と 言 います)を 持 っています。こうしたお 寺 の 建物 を「 七堂伽藍 」と 言 います。 七堂伽藍 を 持 つことができたのは、 高 い 位 にあるお 寺 だけでした。
・ 七堂伽藍 の 建物 の 例 :
1) 塔 :お 経 (* 仏教 の 教 えを 書 いた 本 )が 置 いてある 高 い 建物
2) 金堂 :お 寺 の 本 尊(* 特 に 大事 な 仏像 )が 置 いてある 建物
3) 講堂 : 僧 がお 経 などを 読 んだり、 修行 をしたりする 建物
4) 鐘楼 : 時間 などを 知 らせるための 鐘 がある 建物
5) 経蔵 :お 経 などがある 建物
6) 僧坊 : 僧 が 生活 をする 建物
7) 食堂 : 僧 が 食事 をする 建物
武蔵国分僧寺 は、こうした 七堂伽藍 を 持 つお 寺 だったと 考 えられています。
武蔵国分僧寺 の 塔 は、7つの 屋根 を 持 つ 七重塔 で、 最初 に 建 てられました。 高 さはおよそ60メートル。 武蔵国分寺 を 象徴 する、りっぱなものでした。 奈良 の「 総国分寺 」の 東大寺 にも 七重塔 が 建 てられました。 高 さは、およそ96メートルもありました 。
武蔵国分寺 七重塔 〈 推定模型 〉
( 武蔵国分寺跡資料館 提供 )
いま、 日本 で 見 ることのできる、もっとも 高 い 木造建築 の 塔 は、 京都 にあるお 寺 「 東寺 」の 五重塔 で、 高 さは54.8メートルです。ちなみに、 国分寺駅 にある 駅 ビル(「 CELEO 」)の 高 さは45.9メートル、 cocobunji EAST ・ cocobunji WEST の2つの 高 いビルはおよそ130メートルもあります。
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